2008.12.05

うつ病の彼が死ぬまでのはなし(12)

■3ヶ月の封印

今からはるか昔。16年も前の事。

アメリカの大学の学食で、彼と初めて出会いました。

私は一足先に入学していた日本人で、彼は日本からやってきてわずか3日目の、18歳でした。何をどうしてよいのか、戸惑っていた彼に、私から日本語で話しかけました。

その時、どの方角から光が差していて
彼が、何を着ていて
どの角度からの彼を見ていたか
すべて明確に覚えています。

一方彼は、まさか日本人に話しかけられるとも思っていなく、その上自分を見て笑いかけてくる私を、後に「天使が現れたかと思ったよ」とふざけて話していました。

初めて会った時に、長い付き合いになるような、そんな気がしていました。

その頃、尾崎豊が亡くなったばかりで、高校の頃から好きだった彼は、尾崎の死に感化され、こう言っていました。

「オレが死ぬときは、出棺のとき、尾崎のシェリーで見送ってね」

18歳の彼が、自分が死ぬときに流す曲を私に注文する。
まさか、本当に見送る時が来るなんて。。。そうだね、シェリーを流してあげようね。

警察での対面を終え、彼は解剖のため別の場所へ連れていかれました。その間、彼の実家へ皆で向かいました。「美紀子、最期の日まで泊まりなよ。T君のそばに居たいでしょ」義姉がこう言ってくれるまで、私は葬儀にも参加できるのか、不安でした。

彼の実家の2階では、みなが集まり泣いています。私はなるべく輪に入らないよう、家の中をうろうろしていると、義姉の小学校1年になる娘があみちゃんのお絵かきして、となついてきてくれました。よかった。本当は居場所がなかったのです。しばらく、子守です。

あみちゃんのお昼寝。あみちゃんのジャンプ。書くたび、きゃっきゃと喜んでくれます。彼に似ているのです。彼もこの子をとてもかわいがっていました。もしも子供がいたら、、、辛い想像です。

その時、言いました。
「夕べね。。。クックがずっと変な鳴き方してたんだよ。クーン、クーンってずっと鳴いてたの。誰か来たのかねって話してたの。」彼が子犬の頃からかわいがって育てた犬の事です。

ああそうか。彼、会いに来たんだ。
そしてやっぱり、前の日の朝、私の家の窓が二度叩く音がしたのも、彼だったのでしょう。会いに来てくれたんだね。こんな事って、本当にあるんだ。。。

今頃、解剖されてるんだろうな。。。怖がりだから、やだやだって逃げてるんじゃないかな。がんばれT君。ちょっとの辛抱でみんなのもとに戻れるよ。

この間、私も一旦自宅へ戻り喪服や必要なものを取りに帰りました。途中、尾崎のシェリーを探してみたけれど、最近のCDショップはもう尾崎のコーナーも少なくて、どこにも売っていませんでした。

しょうがない、焼き鳥で許してもらおう。晩酌に必ず無いと怒る、焼き鳥と、もずく酢と、かつおニンニクと、焼酎4本を買いました。この焼酎4本目を飲みだす頃には、いつも暴れてきてました。なるべくお酒を飲まないで欲しくて、彼がトイレに行く隙に、私はこの焼酎をこっそりガブ飲みしてたので、おかげで私までお酒が強くなってしまって。

戦いぬいたな、うつ病と私たち。

家に戻り、喪服を出し、棺の中に入れたいものを探しだしました。どっちかが先に死ぬ時はこれもってくでしょう、と彼が言っていた、槇原敬之のファーストアルバム歌詞カードに二人の名前宛に書いてもらった本人のサインをまっさきに取り出しました。「死ぬまでマッキーの昔の曲は封印だね、辛くて聴けないよ」離婚届けを役所に出した帰り道言ってたけど、3ヶ月で封印のヒモをほどく日が来ちゃった。。。

そして、3ヶ月ぶりに、結婚指輪を左手薬指にはめました。結婚中、この指輪を見る時、辛すぎてこの結婚は意味あるのだろうか、そう悩んでいたけど、やっぱりこの指にこの指輪を付けるとうれしくなります。

旦那が死んだ日。

また奥さんに戻れた日。

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2008.12.01

うつ病の彼が死ぬまでのはなし(11)

■神の定めた意味

葬儀屋のこと、棺のこと、解剖の手続き、死んだ悲しみに塞ぎこんでいられないほど片付けなくてはいけない事が、警察に居る時点で押し寄せてきます。これが、もし喪主の立場だったら、離婚前だったら、すべて一人でやらなくてはいけない仕事。しかし今、立場上自由な身である私には降りかかりません。彼の家族がすべて対応してくれています。

義父や義姉は書類のサインなどで席を外し、待合室とは呼べそうにもない、喫煙用のイスに義母とふたりで腰掛けていました。震えは止まらず、真っ青な顔の義母は、ビニール袋に入った、シルバーペンダントとシンシナティレッズのネックレスを手渡してきました。
「これ、最期つけてたんだって。警察が持ってきた。美紀子さん持ってなさい」
まだ、血と体液が付いています。そして、言いました。
「警察が、お嫁さんの話を聞きたいって言ってたわよ。。。」

すぐに、取調べ室へ向かいました。
年配の刑事さんが、大学ノートを手にあらわれ、新米の婦警さんは、薄くてぬるいお茶を差し出してきました。笑えるぐらいに、予定調和の取調べスタートです。

「奥さんが、知ってる限りのことを、お話いただけませんか?」

私は最期に連絡を受けた人であり、いわば重要参考人。容疑者にもなり得る。ならば妻として、最後で最大の仕事です。漏らさずすべてを話しました。発病前、発病後、離婚後、そして最期の電話のこと。

その時の、刑事さんの言葉が胸に刺さりました。

「旦那さん、ぽっきりと心が折れちゃったんだろうね・・・」

うつ病は、断崖絶壁ぎりぎりでバランスを保っている車のようなものです。そこへ、小石程度でも当たってしまえば、谷底へ落ちてしまう。世間は、その小石のことしか見ようとしないけど、そもそも断崖絶壁へなぜ進んでしまったのか、そこを理解する事が必要なのです。

多くの自殺を見てきた刑事さんは、小石が持つ大きな意味を理解しているのでしょう。

「しかし、奥さん冷静にしっかりとお話してくれて、ありがとうね。こういう時、みなさん取り乱して説明にならないんですよ。これだけ話てくれたら、もう十分です。なるべく早く、仏さん奥さんのもとへ帰してあげるからね」

ろくな奥さん業もできなかった私が、こんな事で褒めてもらえてしまった。

取調べを終えると、ついに遺体安置所での対面です。彼の家族は、私が取調べ中に対面を終えてしまっていました。私独りではかわいそうと、義父が手をつないで、連れて行ってくれます。

遺体安置所と言っても、車庫のような場所でした。
うすぐらい中、青白い蛍光灯に照らされている、白い布。
その布をめくりとると

彼でした。
人形みたいで、真っ青な顔のT君。

義父は、自分の手の温もりで、彼の顔を温めてあげています。
私も、額に触れてみたけど、冷たすぎて。。。

かわいそう。
ごめんね。

こういう感情とともに、その時確かに感じたもうひとつの気持ち。

T君かっこいい。

私は、彼の絵になる死に姿の美しさに、感動してしまいました。

 死ぬと脅してあなたをおびきよせるためよ
 構って欲しくて死にたいといってるだけよ

私が気にしすぎているから彼が調子に乗ってるのだろう、そう言ってた人々へ、「ホラ、美紀子の言ってた事は間違ってなかったでしょ。がんばってがんばったけど、俺たち辛かったんだよ」そう語ってくれてるみたいで。

死んでなんて欲しくなかったけど、自分の辛さを体現する姿、貫いた彼の美学に、ああやっぱりこの人かっこいいな、そんなことを感じていました。

”神のなされることは皆、その時にかなって美しい。どんな時、出来事にも必ず、神の定めた意味というものがある”

聖書の一節です。

この死には、意味がある。
彼の伝えたかった事を、彼がどう生きたかったかを、分かってあげたい。

だから私は、彼の死に方、自殺を隠すことだけは、絶対にしません。

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2008.11.25

うつ病の彼が死ぬまでのはなし(10)

■遺体となって

警察車両が止まっている彼のアパートでは、雨の中、警察官数人が出入りしていました。その横で、傘もささず、立ちすくんでいる彼の家族。

最期の連絡を受けた日、彼の家族から受けた言葉、私が発した言葉。それもあって、すぐにアパートのそばに歩いては行けませんでした。アパートの中を見る勇気もありませんでした。どしゃ降りの雨の中、私は電柱の影で隠れながら、一歩が踏み出せないでいました。

すると、私の肩を抱く人が。義父でした。言葉は特に、無く、私をアパートの方へ、連れて行ってくれました。

あなたのせいよ。あなたが殺したのよ。こう言われるのではないか、アパートの中はのぞかないよう、下を向いて彼の家族の元へ近寄りました。

義母は、玄関前のコンクリートに座ってます。

「ごめんなさいね。。。こんなことになっちゃって。私、震えが止まらないの」
座っているのではなく、立てなくなっているのです。

義姉は、警察に聞かれたことに冷静に答えています。葬儀屋や、死体解剖の許可書のサインなど、一見気丈にこなしているように見えました。でも、私の姿を見ると、
「美紀子、ごめん。。。」泣きだしました。
「ううん、イヤな仕事させちゃって、ごめんね。」
私はそう答えるのが、精一杯です。

みんな、彼が生きることに賭けたんです。見捨てた人など、誰もいない。誰も誰のことを責めない。多分その場にいた全員、自分のことだけを責めていたはず。

彼を最初に発見したのは、義母でした。内鍵のすきま数十センチの間、倒れている足を見ても、「まだ寝ているみたいよ」と恐ろしい現実を否定していた彼女。警察を呼び、内鍵を壊し入り、「もう冷たくなってます」この言葉を聞かされ、そこからずっと震えが止まらなくなったそうです。

「お前は絶対に俺のアパートへ来るな」
この言葉はきっと、母親に見つけて欲しかったのだろうと思います。

自分の辛さを、一番に理解して欲しかったのが、自分の母親だったのでしょう。「俺は、俺を生んだ母親にさえ、この病気を分かってもらえないんだ。その辛さお前に分かるのか」暴れる時よく彼が口にしていました。そう言いながら、この体が憎い、自分で自分の体を殴った事もありました。

時に、血縁家族のほうが理解しにくい、難しい病です。うちの子に限ってそんな病気になるはずがない、気の持ちようでそんな病気治るわよ、どこの家庭でもそう思ってしまうそうです。だから余計、家族の前では元気なふりをし続けてしまうのです。

苦悶の死に顔を私は見ずに済んだ分、義母の受けた衝撃は、計り知れません。死をもって、辛さを見せ付けた彼。私には、ある程度予測された事態であっても、彼らにとっては、不測の事態。突然訪れた、最悪の結末。立てなくなるのも、当然です。

みな呆然としながらしばらく時は過ぎ、そしてアパートの中から、白いビニールシートに包まれた彼が運び出されました。確かに、彼の姿かたちをしています。私の夫です。彼らの自慢の息子です。でももう、ここからは、遺体と呼ばれるのです。

雨は、彼の上にも降り落ちています。濡れちゃ、いやだ。飛びつき傘を差してあげたかったけど、彼の家族より先に近寄るのは、ルール違反な気がして、がまんしました。でも、どうしても近くへ行きたくて、乗せられた車両のそばへ行って見ました。中をのぞきました。やっぱり、動きません。

もう、感情が沸きません。言葉も出ません。涙なのか、雨なのか、判別もつかないほど、私も濡れていました。気づいた時には、彼を乗せた車は静かに警察へ向かってしまいました。

雨降る中、会話はまったくないまま、我々も警察へ歩き出しました。

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2008.11.21

うつ病の彼が死ぬまでのはなし(9)

■うつ病から解放された日

その日は、赤坂で健康診断でした。
最悪な気持ちの中、ひととおりの診断を終え、昼食を取り、医師の診断結果を待っている時、携帯が鳴りました。すぐに電話を取れず、着信履歴と留守録の表示。彼の家族からの電話でした。12時49分。

「ごめん、美紀子。阻止できなかった。。。」

え、意味が分からない。

阻止できなかったって、どういうこと?自殺、阻止、できなかったってこと?

だから言ったじゃない。
私の、言った通りに、なっちゃったじゃない。

って言うことは。

T君、死んだの?

ウソだよ。
ヤダよ。
イヤぁっ!!!

パニックに、大声で何かを叫びながら、ビルの外へ出たときそこは、ドラマみたいにどしゃ降りの雨が降っていました。傘もささず、タクシーを止め乗り込みました。

震えが止まりません。まったく、理解ができません。

誰かに携帯をかけたくて、何度番号を押しても、つながりません。赤坂を出て、青山墓地近くになるまで、携帯は使えませんでした。いつもと全く違う動作をくりかえします。

それでも、彼の先生に、何度もかけてみました。やっと、携帯がつながり呼び出し音が鳴りました。先生の声です。

「せんせぇ、、、主人がぁっ、だめだったって。。。だめ、、、だったって言うの」
嗚咽の中、語りかけると、先生はこう言いました。
「今、こちらにも、警察から、連絡がきました」

警察から、連絡、きちゃったってことは、ホントなんだ。。。それでも、まだどうにかなるかもしれない。そう、思ってました。

「先生なら、、、彼を元に戻せないの?もう、ホントにダメなの?病院に連れて行っても、ダメ?」
「・・・お役に立てず、すみませんでした。でも、奥さんはやるだけの事はすべてやり尽くしたと、思います。」

外には、根津美術館が見え、雨はさらにひどく降りだしました。分かりました、と電話を切ることができず、号泣の中、先生に言いました。

「先生。。。彼みたいな人をね、1人でも、多く、助けてあげてくださいね。もう、こんなつらい病気ありません。。。あんなに、がんばったのにね。あの人、がんばったの。。。」

分かりました、としか先生も言えず、電話を切りました。渋谷の駅が見えてきました。どんな景色を見ても、彼との思い出が甦る町、渋谷。この町が、私の地図から一生消えるってことだろうか。。。

会社の人数名と連絡を取った時も、ずっと、錯乱状態。涙は止まらず、呼吸が何度もできなくなり、倒れそうでした。池尻大橋。彼が、最後バイトをしていた町です。二度とこんな町、来たくない。町ごと、この世から消えて欲しい。

雨は一向におさまりません。死んだ?もう会えない?どんなに願ってももう、会えない?何度考えても、受け入れられませんでした。

でも、ちょうど車が用賀に来たあたりで、気づいたのです。

あぁ、これでもう、うつ病から解放されるんだ、私たち。

私は、彼という大切な人を失う事で、
彼は、彼の命を失う事で、
うつ病からは、解放されるんだ。4年半の呪縛から、解放されるんだ。

そう思うと、少し気持ちがらくになりました。
私がこれだけ、らくになれるのなら、私の数倍辛く苦しめられた彼本人は、これでやっとうつ病から解放されるって、もっと思ってるんじゃないか。。。

多摩川が見えてきました。川を越えれば、彼が住む町です。
気持ちを落ち着けて、彼を見送ってあげよう。今日でもう、うつ病は、私たちの前から消えるんだから。

待っててね。もうすぐ着くよ。多摩川を下に見ながら、さっきまでの私とは別人のように落ち着いて、彼の家へと向かいました。

そして、後で知った事。
携帯が使えなくなってた間、最期に連絡を取った参考人として、警察は私に電話をかけようとしていたそうです。警察官も同じように、電話が繋がらなかったそうです。

これ以上、美紀子をパニックにさせてはいけない。そう思った彼の配慮なんじゃないかなって、私は思っています。ありがとう。

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2008.11.15

うつ病の彼が死ぬまでのはなし(8)

■誰かこの不安を消してください

自宅近くまで戻っても、駅前でずっと迷っていました。本当にこのまま帰って良いのか。もう一度、彼の家族へメールをしました。

もう嫌われても構わない。そう思い、かなりくどく迷惑なメールを送りました。彼を助けるつもりはあるのか、自殺を阻止するつもりはあるのか。ないなら、私は何度も彼の元へ行きます。そう書きました。

戻ってきた返事は、「阻止します。だからあなたはじっとしてて」でした。

私は「分かりました。万が一の時は、知らせてください」そう書いて、家へ戻りました。玄関を開けると、あみが飛びついてきてくれました。

夜通し起きていたのに、全く眠れません。声は出ず、目からは涙がずっとボトボトと落ちてます。あみは、無邪気にベランダで鳥を目で追いかけ遊んでいました。

数人の人に、電話やメールをしたけれど、誰もが言ったのは「人は本当に死ぬ時は死ぬ死ぬって言わないんじゃない?」です。私の不安を消し去ろうと言ってくれてるのも分かりました。

でも、不安は消えるどころか、膨れ上がる一方です。何度も嘔吐を繰り返しました。床で数時間寝たけど、その日の夜も朝まで起きていました。何をしていたか、記憶はありません。

明け方、人が絶対届かない位置の出窓が、コンコンと2度はっきりと鳴りました。あみも、その音が鳴る方へ走りよります。まさか・・・ね。

イヤな気持ちのまま、万が一の連絡が急に来た時を考えて、できるだけの仕事を片付けようと思い、休日だけど会社へ行きました。本当は仕事をし終えたら、彼のアパートを見に行こうと思っていました。

その時、ふと見ると遠くでもう一人会社に来ている人がいて、なんとなく、今回の事を話てみました。

聞けばその人の知り合い夫婦も、うつ病で離婚しその後自殺した人がいると言います。初めて、真剣に私の話を聞いてくれる人に出会いました。無意味に勇気付けるような発言もしません。他人なんだから、もう関係ないでしょという発言もしてきません。あなたの不安な気持ちは、離婚していようが当然なのよと言ってくれます。彼の家族があなたを拒むのも、当然なのよと言ってます。今まで、こんなに話を聞いてくれる人はいませんでした。

数時間話をし、気持ちが少し楽になった私は、残りの仕事も集中でき、彼の家を見に行くのはやめようと思えました。久々に夜しっかりと寝ることができました。人に話を真剣に聞いてもらえるだけで、こんなに楽になることを知りました。

そして、「万が一」の連絡が、翌日やってくるのです。
10月14日12時49分に。

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2008.11.09

うつ病の彼が死ぬまでのはなし(7)

■招かれざる客

午前4時過ぎ。私は、彼のアパートの前にいました。窓には、暗闇にテレビの灯りだけが、うっすらと光っています。

「お前は絶対に俺の家には来るな。もし来たら、絶対に許さないぞ」

電話で何度もこのセリフを言う彼でした。「今日死ぬから」と言う電話を受け、タクシーを飛ばしやって来た私ですが、家の戸は叩けませんでした。ここで無理に家へ乗り込むべきか、迷いに迷い、俺の家には来るなと言う言葉を受け、私は近くに住む彼の実家へと向かいました。

こんな朝早く、しかも死ぬと言う連絡を受けた事を告げに。招かれざる客です。

一通りの電話の内容を告げました。しかし、こんな話、本当だとはすぐには思えません。ましてや、血を分けた家族ならなおさらです。

「あなたに甘えているだけよ」
「本当に死ぬときはあなたにじゃなくて、家族にするわよ」
「家族がもういいと言っているのだから、あなたはじっと黙ってて」

かなりの言葉を投げつけられました。不安な気持ちに、こんな早朝にさせられた苛立ちもあるのでしょう。もう家族でもない私が、彼について口出しをしている事への怒りは分かります。でも、今は事情が事情です。人の命がかかっています。家族ではない、他人だからこそ今言わなければ。そう思い、私もあきらめませんでした。

がしかし、結局私はそのまま、家を後にしました。本当に甘えてるだけなのか・・・私も何がなんだか、分からなくなってきました。そしてもう一度、彼の家の前へと向かいました。

午前5時半。さっき見えたテレビの灯りは消えてました。寝たのかも・・・しれない。そう思おう。自分に言い聞かせました。電車はもう動いている時間だったけど、帰る気持ちにはなれませんでした。家の周りをうろついては、ドアのそばまで行く。繰り返し繰り返し。

午前6時。駅前のマクドナルドが開くとすぐに、彼への手紙を書きに店へ入りました。そう言えば、昨日から何も食べていないな。いつもと違い、まったくおいしさを感じられない、ソーセージマフィンを急いで食べ、手紙を書こうとしました。今さら何を書けばいいのか・・・結局数行のとりとめもない手紙しか書けませんでした。

彼のアパートへ再度向かう途中、あまりにも不安で、私は普段吸わない煙草を2本も路上で吸い気持ちを落ち着かせていました。

手紙をポストに入れ、灯り取りの窓へ手をつけて「T君・・・美紀子だよ。ここにいるからね」小さく声をかけ、何度も振り返り彼のアパートを後にしました。

午前7時半すぎ。彼の住む町を後にしました。

<つづく>

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2008.11.04

うつ病の彼が死ぬまでのはなし(6)

■最期の電話

離婚して、たった3ヶ月でおこった自殺未遂。頭の中には、彼の主治医の言葉がこだましていました。

「もう、彼のうつ病は治っているんです。薬をやめたら、再婚しませんか?」

そんな言葉、言わないでください。。。私たち、嫌いで別れたわけじゃないんです。離婚して、ぱっと世の中出たところで、自分と感性の合う人は、そういないもんなんだね。。。彼の言葉でした。私だって、同じです。彼のリズムすべてが、私の中に根付いてるぐらい、二人一緒の時間が長かったんですもの。

やっぱり、彼のそばに私はいるべきだった。彼を死なせるわけには、いかない。

一晩中、それを考えて。泣きながら。

「ねえ、あみ。T君に会いたいかな?」
猫を抱きながら、話しかけました。猫は、いまだに彼が帰ってくるのでは、外で音がするだけで、玄関を覗く日々です。彼の名前にも、反応します。
「会いに行こうか・・・」

ピンとまっすぐに立った、うれしい時にみせるまっすぐに立った猫のしっぽを見て、彼のもとに猫を連れて会いに行こう、すぐに決断しました。そんなに車の運転が好きではない私が、ここ最近猫を連れだしていたのは、彼のもとに猫を連れて行きたかったからでした。彼も、会うことを望んでいました。首都高の乗り方も、そのために覚えようとしていました。

あみは、道中、一度もぐずることもなく、おりこうに助手席で寝ていました。未だかつてないおりこうな態度でした。きっと、会えるのわかったのかな。

しかし、焦りすぎた私の行動は、失敗でした。動物が原因で、今回深く傷つき心を閉ざした彼。玄関前では、彼の家族とも出会ってしまい、ドアの前まで連れて行ったあみに、彼は会ってはくれませんでした。

帰路、狂ったように鳴いてぐずるあみでした。

ちょうど、車が高速を降りたあたりで、彼からの電話が鳴りました。
酔っています。暴言の始まりでした。

曰く、お前のせいでオレはすべて失った。
曰く、お前がいなければオレはこんな病気にならなかった。

いつもの事です。
ただ、その後の言葉が、いつもと違いました。

「美紀子のせいじゃないんだ。もう、、、すべてがイヤになったんだ」

これは、普通の暴言電話ではない。

自宅に着いてからも、電話は続きました。ほとんどが、私への暴言です。今までこれを聞いているのが、辛くて辛くてしょうがなかったのに、今回ばかりは、単なる暴言電話で終わって欲しいと思いました。

そして・・・

「明日死ぬからさ、最期にお前の声聞いておこうと・・・思ってさっ!」
遂に、聞きたくない言葉を言い出した、彼でした。泣いています。

「死なないで、私もあみも、T君が必要なんだよ」
「いやだ、明日死ぬから」
「なんでぇ・・・なんで、死にたいの?」
「この4年半何かいい事あったか、言ってみろよ!!」
「・・・バージニアビーチに行った頃のT君に戻れる日がくるから、お願いだから、死なないで」

私は、10年以上前の最高の思い出の場所、バージニアビーチの話をするしか、できませんでした。4年半の間、良い思い出なんて、彼が言うとおり、お互い何もないのです。

「もうオレ、十分がんばったでしょ。これ以上、がんばれないよ・・・そっと死なせてくれよ」

彼が言う通りです。本当に、本当に彼はがんばりました。社会の底辺で、這いつくばりながら、がんばりました。屈辱にも、耐えました。でも・・・私は、死んで欲しくない。私が死んで欲しくないから、もっともっとがんばれ、こう思うのは、身勝手なのかもしれない。でもここで、死なせるわけにはいきません。

「一緒にがんばろうよ。私、T君のためなら、なんでもするから」

その時言った彼の言葉。今まで一度も言った事のなかった、一言でした。

うつ病になるまで勤めていた会社に戻してくれるなら、明日お前があの会社に行って俺を戻せるなら、死なないでやるよ。

そう言ったのです。

何も、気の利いた言葉なんて、傷ついて傷ついた彼に、言えませんでした。ただただ、死なないで、そう言う事しかできませんでした。

そして、午前3時半。
「明日じゃなくて、今日死ぬから。じゃーねぇー・・・」

電話は切れました。
これが、最期の電話です。
最期の、彼の声となりました。

<つづく>

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2008.10.30

うつ病の彼が死ぬまでのはなし(5)

■虫の知らせ

こんな辛い想いをして、二人別れたのだから、あなたは一日でも早く、新しい人をみつけるんだよ。それが、オレの願いなんだからね。

彼が言い続けた、私への願いでした。なので、小まめなメール連絡や、突然の来訪は、酔って荒れた時の彼の暴言の火種となっていました。いいから、オレにかまうな、と。オレに連絡する時間があったら、違う人との未来を探せ、そう言うメールが何通も届き、これは酔っているなと感じた私は、しばらく彼への連絡を絶ちました。彼も、私の連絡先を携帯から消去したようでした。

そんな時、私と彼との共通の友人から、連絡が来ました。「様子のおかしいメールが私の所に届いたんだけど。。。」

全く、文章が打ててないメールでした。
添付の画像では、顔を怪我しています。

泥酔しても、文章が打てない事は今までもありません。これは、絶対におかしい。しかも、私の友達にこんなメールを送るのは、私に気づいて欲しくて連絡してるのではないか、そう思いました。

でも、この状況で私が乗り込むのは、お互いに危険なのではないか。いや、行くべきだ。ひどく、ひどく、悩みました。彼の実家は、私と彼がたまに会ったりしていることは、知りません。ここで私が乗り込むと、話が複雑になってしまう。。。離婚し他人になると、出来ない事がたくさんあります。

それでもこの4年半の彼の行動を思い返しても、これはおかしい。胸騒ぎは止まりません。夜もほとんど寝られず、仕事も手につかず。会社の昼休み、お昼ご飯を買いに外に出た足で、私はそのまま、地下鉄に乗ってしまいました。彼のアパートへ、向かいました。

灯り取りの窓は少し開いていて、テレビがついていました。中にいる様子ではあったけど、テレビ番組は、昼に彼が見るような番組ではありませんでした。おかしい。私は、ドアを叩き、中に何度も呼びかけました。それでも、出てこないので、あきらめかけた時、中からドアをやっとのこと、彼が開けてくれました。

「なんで。。。分かったの?」
彼の一声です。
「妙なメール、Kちゃんに送ったでしょ?何をしたの?」
「え・・・覚えてないや。人って、なかなか死なないものだね。ゆうべ、睡眠薬全部飲んだんだ」

腰が抜けそうになった一言でした。あれだけ気を張って過してきたのに、今になってここで、遂に自殺未遂をしてしまった。。。彼が夕べと言っているのは、1日前の事だと判明しました。つまり、1日以上、睡眠薬で眠り続け、その途中で送った、全く文になってないメールだったようです。

ある理由があって、顔に怪我をした彼。それが引き金でした。

とにかく病院に連れて行きたく、ただ、彼の性格上、自分で睡眠薬を飲んだとは、医師の前では言わないと思い、顔の怪我を理由に病院へ連れ出しました。

待合室でも、元気は全くありません。顔に受けた怪我のことを、ひどく気にしていました。細かい理由を書くと、安っぽく伝わりそうなので避けますが、私には、いかに彼が深く傷ついたか、怖いほど理解できました。

病院では、怪我の薬だけをもらい、お腹がすいたと言うので、彼の好きなアイスとカップラーメンを買って家に戻りました。

「美紀子が来てくれて・・・良かったわ」
死んじゃダメでしょ、とか、もう死なないと約束して、など言いたい事はたくさんあったけど、声になりません。本当はこの時、彼に触れたかったけど、それすら受け付けない、落ち込みようでした。

夕方5時ごろまでいたのに、何を話したか、思い出せません。覚えているのは、買って来たカップラーメンを二人で食べたことです。これが、二人で食べた、最期の食事になってしまいました。最期の食事がカップラーメンとは、なんとも二人らしい、そんな気がしてしまいます。

彼の母親とバトンタッチし、私は彼の家を後にしました。

その足で、彼の主治医の元へ行きました。先生いわく「彼の飲んだ量なら、安心です。多分、バカなことをしたなって、今頃反省しているでしょう」と。「ただ。。。彼に渡している抗うつ剤は、2人に1人が死ぬ量なんだけど、多分大丈夫でしょう」、そう先生は言いました。

毎月、病院からもらっている薬を入れている箱とは別に、今まで飲みきれなかった薬が別の場所に溜まっている事が気になったけど、それは怖くて先生の前で口に出せませんでした。

あの薬・・・こっそり取り返さないと。

いやな予感は、膨れ上がるばかりでした。

<つづく>

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2008.10.29

うつ病の彼が死ぬまでのはなし(4)

■お元気で!

今になって考えてみれば、これから数日後に死ぬ彼に、無性に会わなくてはいけない、そんな気がして会いに行った日がありました。勤務中に、早退してでも会わねばならない。そう思い、会いに行きました。

突然やってきた私に、「どうしたの?今日が結婚記念日だから来たの?」と言う彼。ああ、そうだ。今日は二人の結婚記念日だったんだ。いま季節がなんなのかも忘れるぐらいの毎日で、気づいていなかったけれど、彼は忘れず二人の記念日を覚えてくれてました。

とてもおだやかな時間を過しました。バイト先に必ず毎朝来る変わった客の話、5千円お釣りを間違えてしまい、懲罰をくらったけれど、昔の仕事は5千万円回収できないままなんだけどね、なんて言う話まで、笑いながら時間は過ぎました。

私は、自分の仕事の話を。一緒に仕事をした人が、理解が遅くてイラついていたら、どうやらその人が鬱っぽいことを知ってしまい、夜中誰もいないと思い号泣してたら、パーテーション越しに人がいて、ひどく恥ずかしかった話を。

その時彼が言いました。鬱は、自分みたいに重症だろうが、さぼりの延長だろうが、本人が鬱だと思えばそれでいいんだ。100人中99人が本当の鬱じゃなくても、1人の鬱病患者を救えれば、そんなすばらしい事はないんだよ、と。こんな苦しい病気を、99人のウソと引き換えに、1人の患者を助けられたらそれでいいでしょ、って。そう言ってた彼の横顔が、忘れられません。

彼が、最近毎朝バイトに行く前に聞いていると言う、槇原敬之の曲をパソコンの動画サイトで聞かせてくれました。パソコンのスピーカーが悪く、良く聞き取れなく、私はどんな歌詞なの?と聞きました。歌詞の内容は、こうでした。

別れてみて初めてこんなに誰かを好きになったことに気づいたよ。
地球が丸くてよかった。
だって、歩いていればまた出会えるから。
元気で生きていくことを祈るよ。
友よ、また会おう。
その時まで、お元気で!
(槇原敬之「お元気で!」)

泣くに泣けませんでした。あまりに、今の二人の状況に似すぎているから。かいがいしく、妻らしい行為はかえって哀しくなるので、彼は牛丼を、私はカキフライ弁当を、二人で食べて、その日は帰りました。

帰り道、「これから、毎年結婚記念日だけは会おうか」と言う彼。
なんだか、昔の彼に戻ってくれたようで、とてもとても、嬉しくなりました。

駅で別れるとき、改札越しに言った彼の言葉。
「美紀子!!まっすぐ前を向いて歩いていればまた、オレに会えるからね。お元気で!」

これが、元気な彼との、最期の会話となりました。

<つづく>

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2008.10.27

うつ病の彼が死ぬまでのはなし(3)

■うつ病患者が社会へ戻るには

人の満足度の構成比は、男女や親兄弟の愛情が半分、もう半分もしくはそれ以上が、自分の社会での位置や意義だと思うのです。うつ病は、その社会での位置を、津波のように奪い取ってしまう病気です。

彼は離婚する直前、週末だけの仕事をしてました。ショッピングモールで、カード勧誘をするお仕事でした。1度だけ、迎えに行き、彼の仕事ぶりを見てしまいました。

エスカレーターの下で、簡易テーブルを広げ、他の人たちは座って仕事をしている中、彼だけは立って仕事をしていたのです。衝撃でした。ニューヨークだ、香港だと飛び回ってた人が、パートの人たちに混じっての仕事でも、手を抜かずさぼらず。ああ、この人は、本当に本当に働きたかったんだ。私はこの時が、この病気にかかってから、一番涙を流したと思います。なんでこんな病気にさせてしまったのだろう。後悔するな、なんて言葉は無駄です。あの日あの時、私が気づいていれば、彼は今ここにはいない。涙はずっと、止まりませんでした。

離婚してからは、フルタイムで働ける場を探していました。月曜、駅に配られる無料のバイト情報誌を集め、手当たりしだい電話をし、面接をする。必ず聞かれる、ここ数年の経歴のブランクには、正直にうつ病であったことを告げてた彼でした。隠したくない。彼の強い意志でした。隠せば隠すほど、この病気で苦しんでいる人を助けられない。彼はそう言ってました。

結局、数十社の面接をし、彼を雇ってくれたのは、コンビニのバイトでした。朝8時から夕方5時までのバイト。お昼休みは20分だけ。せまい部屋で一人コンビニのおにぎりを急いで食べ、すぐに仕事に戻っていたそうです。

数百円のおにぎりや飲み物を売りながらも、彼はこの時、コンビニの経営母体や海外進出店舗数などを調べあげ、アジアで進出していない地域でどの国ならビジネスチャンスがあるか、気候や宗教や風土から、どんな商品なら売れそうか、そんな事を考え、将来もう一度海外で働きたいんだ、そう私に告げてきました。それぐらいのこと考えてないと、何も楽しみがなくてね。。。ポツリと言いました。

一方、港区六本木の高層ビルの一室に、自分の座るデスクがある私。一体、彼との間に、何の差があるのだろうか。そう思うと辛く、毎朝ビルに入る時、心臓が激しく高鳴りました。

<つづく>

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2008.10.23

うつ病の彼が死ぬまでのはなし(2)

■うつ病と暴力暴言

良い思い出だけを書くのは、よしましょう。自暴自棄になった、自暴自棄にさせるうつ病のせいで、彼のお酒の量が進み、うつ病の薬との副作用もあり、暴れるようになりました。地獄です。

ある一点を超えると、さっきまでの彼の目つきも話し方も変わってしまう。お前のせいで、うつ病になったんだ。責める彼の話は、朝方まで終わりません。聞くに堪えられない罵声も、長時間聞いていると、意識も朦朧としてきて、一秒でも早く寝させて欲しい、その思いから、私はただただ謝り続けました。何も悪くないのに。もっと言えば、彼も悪くないのに。病気が憎かった。

助けを求めるにも、誰に何をどう伝えて良いのか、言葉も浮かばなかった。時には、どうして欲しくて来てるのか、そんなことを私に聞く人もいたっけ。どうして欲しいか、即答できるなら、相談なんかしません。二人に手を差し伸べてくれる人を求める毎日でした。

暴れた翌日は、そんな自分に彼も落ち込みます。私も、責める気力もありません。いつもの彼に少しでも戻って欲しくて、夕食の買い物に夕暮れ時誘い出したりしてました。日中は、幸せそうな家族が多すぎて、二人とも心痛むから。

遠回りして、成城学園前の並木道を歩いていると、彼が言いました。「ハマショーの散歩道みたいだね」。喧嘩するたび悪いのはみんな君だよと責める歌詞のある歌です。アメリカでよく聞いていた曲で、セーターを買ってあげる歌詞のマネをしたくて、夏なのに、セーターを私に買って渡した彼でした。アメリカで出会って10数年、病気を境に、すべてが変わってしまいました。

離婚前の半年は、暴れだしたら止められなくなってました。彼に怒鳴られる恐怖と同時に、忍耐の限度を超えた時の自分の行動が怖くて、だから離婚を受け入れました。

離婚しても、お酒を飲めば、やっぱり暴言の連絡は止まりませんでした。連絡先を絶てば済むじゃん、って周りの人は言ったけど、生存確認のパイプだけは断ちたくなかったのです。そんな悪い予感は的中して、彼からの最期の連絡がやって来たのも、電話でした。

<つづく>

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うつ病の彼が死ぬまでのはなし(1)

■得体の知れない敵との戦い

今回ばかりは、まじめに隠さずすべてを書きます。3ヶ月前離婚した旦那が、先週死にました。自殺です。

彼は、4年半前、うつ病になりました。それまで、世界中を飛び回り仕事をしていた彼が、動けず眠れず、理由が見えず、苦しみ出しました。結婚してわずか1年目のことです。配慮のできないおろかな妻は、病魔を見抜くこともできず、ただうろたえるだけでした。

楽しかった結婚生活はわずか1年たらず。あとの残りは、死ぬほど苦しい闘病生活でした。たった1年の楽しかった時間なら、仕事なんてしてなければよかった。後悔しても、時間はとりもどせません。私に課せられた使命は、彼を自殺させないこと。人身事故の速報を聞くたびに、不安で倒れそうで。助けて欲しくても、世間のうつ病の理解は、まだまだでした。

一番言われて辛かった事。あなたが甘やかしすぎだからなんじゃない?という言葉。顔面蒼白、脂汗だらけ、何も食べられず、目も開けられない彼の姿は、甘えなどとは無縁の苦しさの境地。もっと辛い瞬間は、あれだけおだやかで優しかった彼が、私を罵り物に当たり、しまいには、骨が折れるまで私を殴り。うつ病はこころの風邪なんかじゃない。こころのガンだと思いました。

辛かった。でも、本人の辛さには比べようにありません。男の働き盛りの年代に、外にも出ず、布団の中で過す事がどれだけ屈辱的か。私はどんなに辛くても、外に出て六本木ヒルズで働くOLになった瞬間、誰もうつ病の旦那の面倒を見ているとは思わない。いつも泣くのは、通勤電車の中でだけ。泣いても目を拭かない事が目を腫らさないコツだなんて事も身についてしまった。「これは私の仕事じゃありません」「お腹が痛いので休みます」職場でこう言う人に出会うたび、働きたくても家から出られず、社会から断絶させられた彼を思い出し、悔しくて悔しくてしかたなかった。働きたくないのなら、彼と代わってください。

どこにも出かけられない二人。それでも、楽しい瞬間を二人見つけようとしてました。くだらないテレビ番組のつっこみ、近所の路上の意味不明な看板、コンビニで新しく出たお菓子、私の職場のおかしな人々の話。疲れて帰って、こんな話をしているときが一番楽しくて、いつも願ってました。「神様、どうか彼を奪わないでください」。あみがやって来てからは、なおのこと、この3人の時間が続く事を願っていました。

でも彼は、感じていたのです。これは、幸せの形ではないことを。未来が見えないことを。私を自由にしてあげたい。だいぶ前から、そう思っていたみたいです。夫としての重責からも逃れたかったのだと思います。そして、離婚を言い出したのも、彼からでした。私は、もちろん、拒み続けました。私は彼がいてくれるだけで、良かったのです。

<つづく>

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