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2008.11.25

うつ病の旦那が死んだはなし(10)

■遺体となって

警察車両が止まっている彼のアパートでは、雨の中、警察官数人が出入りしていました。その横で、傘もささず、立ちすくんでいる彼の家族。

最期の連絡を受けた日、彼の家族から受けた言葉、私が発した言葉。それもあって、すぐにアパートのそばに歩いては行けませんでした。アパートの中を見る勇気もありませんでした。どしゃ降りの雨の中、私は電柱の影で隠れながら、一歩が踏み出せないでいました。

すると、私の肩を抱く人が。義父でした。言葉は特に、無く、私をアパートの方へ、連れて行ってくれました。

あなたのせいよ。あなたが殺したのよ。こう言われるのではないか、アパートの中はのぞかないよう、下を向いて彼の家族の元へ近寄りました。

義母は、玄関前のコンクリートに座ってます。

「ごめんなさいね。。。こんなことになっちゃって。私、震えが止まらないの」
座っているのではなく、立てなくなっているのです。

義姉は、警察に聞かれたことに冷静に答えています。葬儀屋や、死体解剖の許可書のサインなど、一見気丈にこなしているように見えました。でも、私の姿を見ると、
「美紀子、ごめん。。。」泣きだしました。
「ううん、イヤな仕事させちゃって、ごめんね。」
私はそう答えるのが、精一杯です。

みんな、彼が生きることに賭けたんです。見捨てた人など、誰もいない。誰も誰のことを責めない。多分その場にいた全員、自分のことだけを責めていたはず。

彼を最初に発見したのは、義母でした。内鍵のすきま数十センチの間、倒れている足を見ても、「まだ寝ているみたいよ」と恐ろしい現実を否定していた彼女。警察を呼び、内鍵を壊し入り、「もう冷たくなってます」この言葉を聞かされ、そこからずっと震えが止まらなくなったそうです。

「お前は絶対に俺のアパートへ来るな」
この言葉はきっと、母親に見つけて欲しかったのだろうと思います。

自分の辛さを、一番に理解して欲しかったのが、自分の母親だったのでしょう。「俺は、俺を生んだ母親にさえ、この病気を分かってもらえないんだ。その辛さお前に分かるのか」暴れる時よく彼が口にしていました。そう言いながら、この体が憎い、自分で自分の体を殴った事もありました。

時に、血縁家族のほうが理解しにくい、難しい病です。うちの子に限ってそんな病気になるはずがない、気の持ちようでそんな病気治るわよ、どこの家庭でもそう思ってしまうそうです。だから余計、家族の前では元気なふりをし続けてしまうのです。

苦悶の死に顔を私は見ずに済んだ分、義母の受けた衝撃は、計り知れません。死をもって、辛さを見せ付けた彼。私には、ある程度予測された事態であっても、彼らにとっては、不測の事態。突然訪れた、最悪の結末。立てなくなるのも、当然です。

みな呆然としながらしばらく時は過ぎ、そしてアパートの中から、白いビニールシートに包まれた彼が運び出されました。確かに、彼の姿かたちをしています。私の夫です。彼らの自慢の息子です。でももう、ここからは、遺体と呼ばれるのです。

雨は、彼の上にも降り落ちています。濡れちゃ、いやだ。飛びつき傘を差してあげたかったけど、彼の家族より先に近寄るのは、ルール違反な気がして、がまんしました。でも、どうしても近くへ行きたくて、乗せられた車両のそばへ行って見ました。中をのぞきました。やっぱり、動きません。

もう、感情が沸きません。言葉も出ません。涙なのか、雨なのか、判別もつかないほど、私も濡れていました。気づいた時には、彼を乗せた車は静かに警察へ向かってしまいました。

雨降る中、会話はまったくないまま、我々も警察へ歩き出しました。

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2008.11.21

うつ病の旦那が死んだはなし(9)

■うつ病から解放された日

その日は、赤坂で健康診断でした。
最悪な気持ちの中、ひととおりの診断を終え、昼食を取り、医師の診断結果を待っている時、携帯が鳴りました。すぐに電話を取れず、着信履歴と留守録の表示。彼の家族からの電話でした。12時49分。

「ごめん、美紀子。阻止できなかった。。。」

え、意味が分からない。

阻止できなかったって、どういうこと?自殺、阻止、できなかったってこと?

だから言ったじゃない。
私の、言った通りに、なっちゃったじゃない。

って言うことは。

T君、死んだの?

ウソだよ。
ヤダよ。
イヤぁっ!!!

パニックに、大声で何かを叫びながら、ビルの外へ出たときそこは、ドラマみたいにどしゃ降りの雨が降っていました。傘もささず、タクシーを止め乗り込みました。

震えが止まりません。まったく、理解ができません。

誰かに携帯をかけたくて、何度番号を押しても、つながりません。赤坂を出て、青山墓地近くになるまで、携帯は使えませんでした。いつもと全く違う動作をくりかえします。

それでも、彼の先生に、何度もかけてみました。やっと、携帯がつながり呼び出し音が鳴りました。先生の声です。

「せんせぇ、、、主人がぁっ、だめだったって。。。だめ、、、だったって言うの」
嗚咽の中、語りかけると、先生はこう言いました。
「今、こちらにも、警察から、連絡がきました」

警察から、連絡、きちゃったってことは、ホントなんだ。。。それでも、まだどうにかなるかもしれない。そう、思ってました。

「先生なら、、、彼を元に戻せないの?もう、ホントにダメなの?病院に連れて行っても、ダメ?」
「・・・お役に立てず、すみませんでした。でも、奥さんはやるだけの事はすべてやり尽くしたと、思います。」

外には、根津美術館が見え、雨はさらにひどく降りだしました。分かりました、と電話を切ることができず、号泣の中、先生に言いました。

「先生。。。彼みたいな人をね、1人でも、多く、助けてあげてくださいね。もう、こんなつらい病気ありません。。。あんなに、がんばったのにね。あの人、がんばったの。。。」

分かりました、としか先生も言えず、電話を切りました。渋谷の駅が見えてきました。どんな景色を見ても、彼との思い出が甦る町、渋谷。この町が、私の地図から一生消えるってことだろうか。。。

会社の人数名と連絡を取った時も、ずっと、錯乱状態。涙は止まらず、呼吸が何度もできなくなり、倒れそうでした。池尻大橋。彼が、最後バイトをしていた町です。二度とこんな町、来たくない。町ごと、この世から消えて欲しい。

雨は一向におさまりません。死んだ?もう会えない?どんなに願ってももう、会えない?何度考えても、受け入れられませんでした。

でも、ちょうど車が用賀に来たあたりで、気づいたのです。

あぁ、これでもう、うつ病から解放されるんだ、私たち。

私は、彼という大切な人を失う事で、
彼は、彼の命を失う事で、
うつ病からは、解放されるんだ。4年半の呪縛から、解放されるんだ。

そう思うと、少し気持ちがらくになりました。
私がこれだけ、らくになれるのなら、私の数倍辛く苦しめられた彼本人は、これでやっとうつ病から解放されるって、もっと思ってるんじゃないか。。。

多摩川が見えてきました。川を越えれば、彼が住む町です。
気持ちを落ち着けて、彼を見送ってあげよう。今日でもう、うつ病は、私たちの前から消えるんだから。

待っててね。もうすぐ着くよ。多摩川を下に見ながら、さっきまでの私とは別人のように落ち着いて、彼の家へと向かいました。

そして、後で知った事。
携帯が使えなくなってた間、最期に連絡を取った参考人として、警察は私に電話をかけようとしていたそうです。警察官も同じように、電話が繋がらなかったそうです。

これ以上、美紀子をパニックにさせてはいけない。そう思った彼の配慮なんじゃないかなって、私は思っています。ありがとう。

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2008.11.15

うつ病の旦那が死んだはなし(8)

■誰かこの不安を消してください

自宅近くまで戻っても、駅前でずっと迷っていました。本当にこのまま帰って良いのか。もう一度、彼の家族へメールをしました。

もう嫌われても構わない。そう思い、かなりくどく迷惑なメールを送りました。彼を助けるつもりはあるのか、自殺を阻止するつもりはあるのか。ないなら、私は何度も彼の元へ行きます。そう書きました。

戻ってきた返事は、「阻止します。だからあなたはじっとしてて」でした。

私は「分かりました。万が一の時は、知らせてください」そう書いて、家へ戻りました。玄関を開けると、あみが飛びついてきてくれました。

夜通し起きていたのに、全く眠れません。声は出ず、目からは涙がずっとボトボトと落ちてます。あみは、無邪気にベランダで鳥を目で追いかけ遊んでいました。

数人の人に、電話やメールをしたけれど、誰もが言ったのは「人は本当に死ぬ時は死ぬ死ぬって言わないんじゃない?」です。私の不安を消し去ろうと言ってくれてるのも分かりました。

でも、不安は消えるどころか、膨れ上がる一方です。何度も嘔吐を繰り返しました。床で数時間寝たけど、その日の夜も朝まで起きていました。何をしていたか、記憶はありません。

明け方、人が絶対届かない位置の出窓が、コンコンと2度はっきりと鳴りました。あみも、その音が鳴る方へ走りよります。まさか・・・ね。

イヤな気持ちのまま、万が一の連絡が急に来た時を考えて、できるだけの仕事を片付けようと思い、休日だけど会社へ行きました。本当は仕事をし終えたら、彼のアパートを見に行こうと思っていました。

その時、ふと見ると遠くでもう一人会社に来ている人がいて、なんとなく、今回の事を話てみました。

聞けばその人の知り合い夫婦も、うつ病で離婚しその後自殺した人がいると言います。初めて、真剣に私の話を聞いてくれる人に出会いました。無意味に勇気付けるような発言もしません。他人なんだから、もう関係ないでしょという発言もしてきません。あなたの不安な気持ちは、離婚していようが当然なのよと言ってくれます。彼の家族があなたを拒むのも、当然なのよと言ってます。今まで、こんなに話を聞いてくれる人はいませんでした。

数時間話をし、気持ちが少し楽になった私は、残りの仕事も集中でき、彼の家を見に行くのはやめようと思えました。久々に夜しっかりと寝ることができました。人に話を真剣に聞いてもらえるだけで、こんなに楽になることを知りました。

そして、「万が一」の連絡が、翌日やってくるのです。
10月14日12時49分に。

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2008.11.09

うつ病の旦那が死んだはなし(7)

■招かれざる客

午前4時過ぎ。私は、彼のアパートの前にいました。窓には、暗闇にテレビの灯りだけが、うっすらと光っています。

「お前は絶対に俺の家には来るな。もし来たら、絶対に許さないぞ」

電話で何度もこのセリフを言う彼でした。「今日死ぬから」と言う電話を受け、タクシーを飛ばしやって来た私ですが、家の戸は叩けませんでした。ここで無理に家へ乗り込むべきか、迷いに迷い、俺の家には来るなと言う言葉を受け、私は近くに住む彼の実家へと向かいました。

こんな朝早く、しかも死ぬと言う連絡を受けた事を告げに。招かれざる客です。

一通りの電話の内容を告げました。しかし、こんな話、本当だとはすぐには思えません。ましてや、血を分けた家族ならなおさらです。

「あなたに甘えているだけよ」
「本当に死ぬときはあなたにじゃなくて、家族にするわよ」
「家族がもういいと言っているのだから、あなたはじっと黙ってて」

かなりの言葉を投げつけられました。不安な気持ちに、こんな早朝にさせられた苛立ちもあるのでしょう。もう家族でもない私が、彼について口出しをしている事への怒りは分かります。でも、今は事情が事情です。人の命がかかっています。家族ではない、他人だからこそ今言わなければ。そう思い、私もあきらめませんでした。

がしかし、結局私はそのまま、家を後にしました。本当に甘えてるだけなのか・・・私も何がなんだか、分からなくなってきました。そしてもう一度、彼の家の前へと向かいました。

午前5時半。さっき見えたテレビの灯りは消えてました。寝たのかも・・・しれない。そう思おう。自分に言い聞かせました。電車はもう動いている時間だったけど、帰る気持ちにはなれませんでした。家の周りをうろついては、ドアのそばまで行く。繰り返し繰り返し。

午前6時。駅前のマクドナルドが開くとすぐに、彼への手紙を書きに店へ入りました。そう言えば、昨日から何も食べていないな。いつもと違い、まったくおいしさを感じられない、ソーセージマフィンを急いで食べ、手紙を書こうとしました。今さら何を書けばいいのか・・・結局数行のとりとめもない手紙しか書けませんでした。

彼のアパートへ再度向かう途中、あまりにも不安で、私は普段吸わない煙草を2本も路上で吸い気持ちを落ち着かせていました。

手紙をポストに入れ、灯り取りの窓へ手をつけて「T君・・・美紀子だよ。ここにいるからね」小さく声をかけ、何度も振り返り彼のアパートを後にしました。

午前7時半すぎ。彼の住む町を後にしました。

<つづく>

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2008.11.04

うつ病の旦那が死んだはなし(6)

■最期の電話

離婚して、たった3ヶ月でおこった自殺未遂。頭の中には、彼の主治医の言葉がこだましていました。

「もう、彼のうつ病は治っているんです。薬をやめたら、再婚しませんか?」

そんな言葉、言わないでください。。。私たち、嫌いで別れたわけじゃないんです。離婚して、ぱっと世の中出たところで、自分と感性の合う人は、そういないもんなんだね。。。彼の言葉でした。私だって、同じです。彼のリズムすべてが、私の中に根付いてるぐらい、二人一緒の時間が長かったんですもの。

やっぱり、彼のそばに私はいるべきだった。彼を死なせるわけには、いかない。

一晩中、それを考えて。泣きながら。

「ねえ、あみ。T君に会いたいかな?」
猫を抱きながら、話しかけました。猫は、いまだに彼が帰ってくるのでは、外で音がするだけで、玄関を覗く日々です。彼の名前にも、反応します。
「会いに行こうか・・・」

ピンとまっすぐに立った、うれしい時にみせるまっすぐに立った猫のしっぽを見て、彼のもとに猫を連れて会いに行こう、すぐに決断しました。そんなに車の運転が好きではない私が、ここ最近猫を連れだしていたのは、彼のもとに猫を連れて行きたかったからでした。彼も、会うことを望んでいました。首都高の乗り方も、そのために覚えようとしていました。

あみは、道中、一度もぐずることもなく、おりこうに助手席で寝ていました。未だかつてないおりこうな態度でした。きっと、会えるのわかったのかな。

しかし、焦りすぎた私の行動は、失敗でした。動物が原因で、今回深く傷つき心を閉ざした彼。玄関前では、彼の家族とも出会ってしまい、ドアの前まで連れて行ったあみに、彼は会ってはくれませんでした。

帰路、狂ったように鳴いてぐずるあみでした。

ちょうど、車が高速を降りたあたりで、彼からの電話が鳴りました。
酔っています。暴言の始まりでした。

曰く、お前のせいでオレはすべて失った。
曰く、お前がいなければオレはこんな病気にならなかった。

いつもの事です。
ただ、その後の言葉が、いつもと違いました。

「美紀子のせいじゃないんだ。もう、、、すべてがイヤになったんだ」

これは、普通の暴言電話ではない。

自宅に着いてからも、電話は続きました。ほとんどが、私への暴言です。今までこれを聞いているのが、辛くて辛くてしょうがなかったのに、今回ばかりは、単なる暴言電話で終わって欲しいと思いました。

そして・・・

「明日死ぬからさ、最期にお前の声聞いておこうと・・・思ってさっ!」
遂に、聞きたくない言葉を言い出した、彼でした。泣いています。

「死なないで、私もあみも、T君が必要なんだよ」
「いやだ、明日死ぬから」
「なんでぇ・・・なんで、死にたいの?」
「この4年半何かいい事あったか、言ってみろよ!!」
「・・・バージニアビーチに行った頃のT君に戻れる日がくるから、お願いだから、死なないで」

私は、10年以上前の最高の思い出の場所、バージニアビーチの話をするしか、できませんでした。4年半の間、良い思い出なんて、彼が言うとおり、お互い何もないのです。

「もうオレ、十分がんばったでしょ。これ以上、がんばれないよ・・・そっと死なせてくれよ」

彼が言う通りです。本当に、本当に彼はがんばりました。社会の底辺で、這いつくばりながら、がんばりました。屈辱にも、耐えました。でも・・・私は、死んで欲しくない。私が死んで欲しくないから、もっともっとがんばれ、こう思うのは、身勝手なのかもしれない。でもここで、死なせるわけにはいきません。

「一緒にがんばろうよ。私、T君のためなら、なんでもするから」

その時言った彼の言葉。今まで一度も言った事のなかった、一言でした。

うつ病になるまで勤めていた会社に戻してくれるなら、明日お前があの会社に行って俺を戻せるなら、死なないでやるよ。

そう言ったのです。

何も、気の利いた言葉なんて、傷ついて傷ついた彼に、言えませんでした。ただただ、死なないで、そう言う事しかできませんでした。

そして、午前3時半。
「明日じゃなくて、今日死ぬから。じゃーねぇー・・・」

電話は切れました。
これが、最期の電話です。
最期の、彼の声となりました。

<つづく>

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