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2008.10.30

うつ病の旦那が死んだはなし(5)

■虫の知らせ

こんな辛い想いをして、二人別れたのだから、あなたは一日でも早く、新しい人をみつけるんだよ。それが、オレの願いなんだからね。

彼が言い続けた、私への願いでした。なので、小まめなメール連絡や、突然の来訪は、酔って荒れた時の彼の暴言の火種となっていました。いいから、オレにかまうな、と。オレに連絡する時間があったら、違う人との未来を探せ、そう言うメールが何通も届き、これは酔っているなと感じた私は、しばらく彼への連絡を絶ちました。彼も、私の連絡先を携帯から消去したようでした。

そんな時、私と彼との共通の友人から、連絡が来ました。「様子のおかしいメールが私の所に届いたんだけど。。。」

全く、文章が打ててないメールでした。
添付の画像では、顔を怪我しています。

泥酔しても、文章が打てない事は今までもありません。これは、絶対におかしい。しかも、私の友達にこんなメールを送るのは、私に気づいて欲しくて連絡してるのではないか、そう思いました。

でも、この状況で私が乗り込むのは、お互いに危険なのではないか。いや、行くべきだ。ひどく、ひどく、悩みました。彼の実家は、私と彼がたまに会ったりしていることは、知りません。ここで私が乗り込むと、話が複雑になってしまう。。。離婚し他人になると、出来ない事がたくさんあります。

それでもこの4年半の彼の行動を思い返しても、これはおかしい。胸騒ぎは止まりません。夜もほとんど寝られず、仕事も手につかず。会社の昼休み、お昼ご飯を買いに外に出た足で、私はそのまま、地下鉄に乗ってしまいました。彼のアパートへ、向かいました。

灯り取りの窓は少し開いていて、テレビがついていました。中にいる様子ではあったけど、テレビ番組は、昼に彼が見るような番組ではありませんでした。おかしい。私は、ドアを叩き、中に何度も呼びかけました。それでも、出てこないので、あきらめかけた時、中からドアをやっとのこと、彼が開けてくれました。

「なんで。。。分かったの?」
彼の一声です。
「妙なメール、Kちゃんに送ったでしょ?何をしたの?」
「え・・・覚えてないや。人って、なかなか死なないものだね。ゆうべ、睡眠薬全部飲んだんだ」

腰が抜けそうになった一言でした。あれだけ気を張って過してきたのに、今になってここで、遂に自殺未遂をしてしまった。。。彼が夕べと言っているのは、1日前の事だと判明しました。つまり、1日以上、睡眠薬で眠り続け、その途中で送った、全く文になってないメールだったようです。

ある理由があって、顔に怪我をした彼。それが引き金でした。

とにかく病院に連れて行きたく、ただ、彼の性格上、自分で睡眠薬を飲んだとは、医師の前では言わないと思い、顔の怪我を理由に病院へ連れ出しました。

待合室でも、元気は全くありません。顔に受けた怪我のことを、ひどく気にしていました。細かい理由を書くと、安っぽく伝わりそうなので避けますが、私には、いかに彼が深く傷ついたか、怖いほど理解できました。

病院では、怪我の薬だけをもらい、お腹がすいたと言うので、彼の好きなアイスとカップラーメンを買って家に戻りました。

「美紀子が来てくれて・・・良かったわ」
死んじゃダメでしょ、とか、もう死なないと約束して、など言いたい事はたくさんあったけど、声になりません。本当はこの時、彼に触れたかったけど、それすら受け付けない、落ち込みようでした。

夕方5時ごろまでいたのに、何を話したか、思い出せません。覚えているのは、買って来たカップラーメンを二人で食べたことです。これが、二人で食べた、最期の食事になってしまいました。最期の食事がカップラーメンとは、なんとも二人らしい、そんな気がしてしまいます。

彼の母親とバトンタッチし、私は彼の家を後にしました。

その足で、彼の主治医の元へ行きました。先生いわく「彼の飲んだ量なら、安心です。多分、バカなことをしたなって、今頃反省しているでしょう」と。「ただ。。。彼に渡している抗うつ剤は、2人に1人が死ぬ量なんだけど、多分大丈夫でしょう」、そう先生は言いました。

毎月、病院からもらっている薬を入れている箱とは別に、今まで飲みきれなかった薬が別の場所に溜まっている事が気になったけど、それは怖くて先生の前で口に出せませんでした。

あの薬・・・こっそり取り返さないと。

いやな予感は、膨れ上がるばかりでした。

<つづく>

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2008.10.29

うつ病の旦那が死んだはなし(4)

■お元気で!

今になって考えてみれば、これから数日後に死ぬ彼に、無性に会わなくてはいけない、そんな気がして会いに行った日がありました。勤務中に、早退してでも会わねばならない。そう思い、会いに行きました。

突然やってきた私に、「どうしたの?今日が結婚記念日だから来たの?」と言う彼。ああ、そうだ。今日は二人の結婚記念日だったんだ。いま季節がなんなのかも忘れるぐらいの毎日で、気づいていなかったけれど、彼は忘れず二人の記念日を覚えてくれてました。

とてもおだやかな時間を過しました。バイト先に必ず毎朝来る変わった客の話、5千円お釣りを間違えてしまい、懲罰をくらったけれど、昔の仕事は5千万円回収できないままなんだけどね、なんて言う話まで、笑いながら時間は過ぎました。

私は、自分の仕事の話を。一緒に仕事をした人が、理解が遅くてイラついていたら、どうやらその人が鬱っぽいことを知ってしまい、夜中誰もいないと思い号泣してたら、パーテーション越しに人がいて、ひどく恥ずかしかった話を。

その時彼が言いました。鬱は、自分みたいに重症だろうが、さぼりの延長だろうが、本人が鬱だと思えばそれでいいんだ。100人中99人が本当の鬱じゃなくても、1人の鬱病患者を救えれば、そんなすばらしい事はないんだよ、と。こんな苦しい病気を、99人のウソと引き換えに、1人の患者を助けられたらそれでいいでしょ、って。そう言ってた彼の横顔が、忘れられません。

彼が、最近毎朝バイトに行く前に聞いていると言う、槇原敬之の曲をパソコンの動画サイトで聞かせてくれました。パソコンのスピーカーが悪く、良く聞き取れなく、私はどんな歌詞なの?と聞きました。歌詞の内容は、こうでした。

別れてみて初めてこんなに誰かを好きになったことに気づいたよ。
地球が丸くてよかった。
だって、歩いていればまた出会えるから。
元気で生きていくことを祈るよ。
友よ、また会おう。
その時まで、お元気で!
(槇原敬之「お元気で!」)

泣くに泣けませんでした。あまりに、今の二人の状況に似すぎているから。かいがいしく、妻らしい行為はかえって哀しくなるので、彼は牛丼を、私はカキフライ弁当を、二人で食べて、その日は帰りました。

帰り道、「これから、毎年結婚記念日だけは会おうか」と言う彼。
なんだか、昔の彼に戻ってくれたようで、とてもとても、嬉しくなりました。

駅で別れるとき、改札越しに言った彼の言葉。
「美紀子!!まっすぐ前を向いて歩いていればまた、オレに会えるからね。お元気で!」

これが、元気な彼との、最期の会話となりました。

<つづく>

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2008.10.27

うつ病の旦那が死んだはなし(3)

■うつ病患者が社会へ戻るには

人の満足度の構成比は、男女や親兄弟の愛情が半分、もう半分もしくはそれ以上が、自分の社会での位置や意義だと思うのです。うつ病は、その社会での位置を、津波のように奪い取ってしまう病気です。

彼は離婚する直前、週末だけの仕事をしてました。ショッピングモールで、カード勧誘をするお仕事でした。1度だけ、迎えに行き、彼の仕事ぶりを見てしまいました。

エスカレーターの下で、簡易テーブルを広げ、他の人たちは座って仕事をしている中、彼だけは立って仕事をしていたのです。衝撃でした。ニューヨークだ、香港だと飛び回ってた人が、パートの人たちに混じっての仕事でも、手を抜かずさぼらず。ああ、この人は、本当に本当に働きたかったんだ。私はこの時が、この病気にかかってから、一番涙を流したと思います。なんでこんな病気にさせてしまったのだろう。後悔するな、なんて言葉は無駄です。あの日あの時、私が気づいていれば、彼は今ここにはいない。涙はずっと、止まりませんでした。

離婚してからは、フルタイムで働ける場を探していました。月曜、駅に配られる無料のバイト情報誌を集め、手当たりしだい電話をし、面接をする。必ず聞かれる、ここ数年の経歴のブランクには、正直にうつ病であったことを告げてた彼でした。隠したくない。彼の強い意志でした。隠せば隠すほど、この病気で苦しんでいる人を助けられない。彼はそう言ってました。

結局、数十社の面接をし、彼を雇ってくれたのは、コンビニのバイトでした。朝8時から夕方5時までのバイト。お昼休みは20分だけ。せまい部屋で一人コンビニのおにぎりを急いで食べ、すぐに仕事に戻っていたそうです。

数百円のおにぎりや飲み物を売りながらも、彼はこの時、コンビニの経営母体や海外進出店舗数などを調べあげ、アジアで進出していない地域でどの国ならビジネスチャンスがあるか、気候や宗教や風土から、どんな商品なら売れそうか、そんな事を考え、将来もう一度海外で働きたいんだ、そう私に告げてきました。それぐらいのこと考えてないと、何も楽しみがなくてね。。。ポツリと言いました。

一方、港区六本木の高層ビルの一室に、自分の座るデスクがある私。一体、彼との間に、何の差があるのだろうか。そう思うと辛く、毎朝ビルに入る時、心臓が激しく高鳴りました。

<つづく>

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2008.10.23

うつ病の旦那が死んだはなし(2)

■うつ病と暴力暴言

良い思い出だけを書くのは、よしましょう。自暴自棄になった、自暴自棄にさせるうつ病のせいで、彼のお酒の量が進み、うつ病の薬との副作用もあり、暴れるようになりました。地獄です。

ある一点を超えると、さっきまでの彼の目つきも話し方も変わってしまう。お前のせいで、うつ病になったんだ。責める彼の話は、朝方まで終わりません。聞くに堪えられない罵声も、長時間聞いていると、意識も朦朧としてきて、一秒でも早く寝させて欲しい、その思いから、私はただただ謝り続けました。何も悪くないのに。もっと言えば、彼も悪くないのに。病気が憎かった。

助けを求めるにも、誰に何をどう伝えて良いのか、言葉も浮かばなかった。時には、どうして欲しくて来てるのか、そんなことを私に聞く人もいたっけ。どうして欲しいか、即答できるなら、相談なんかしません。二人に手を差し伸べてくれる人を求める毎日でした。

暴れた翌日は、そんな自分に彼も落ち込みます。私も、責める気力もありません。いつもの彼に少しでも戻って欲しくて、夕食の買い物に夕暮れ時誘い出したりしてました。日中は、幸せそうな家族が多すぎて、二人とも心痛むから。

遠回りして、成城学園前の並木道を歩いていると、彼が言いました。「ハマショーの散歩道みたいだね」。喧嘩するたび悪いのはみんな君だよと責める歌詞のある歌です。アメリカでよく聞いていた曲で、セーターを買ってあげる歌詞のマネをしたくて、夏なのに、セーターを私に買って渡した彼でした。アメリカで出会って10数年、病気を境に、すべてが変わってしまいました。

離婚前の半年は、暴れだしたら止められなくなってました。彼に怒鳴られる恐怖と同時に、忍耐の限度を超えた時の自分の行動が怖くて、だから離婚を受け入れました。

離婚しても、お酒を飲めば、やっぱり暴言の連絡は止まりませんでした。連絡先を絶てば済むじゃん、って周りの人は言ったけど、生存確認のパイプだけは断ちたくなかったのです。そんな悪い予感は的中して、彼からの最期の連絡がやって来たのも、電話でした。

<つづく>

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うつ病の旦那が死んだはなし(1)

■得体の知れない敵との戦い

今回ばかりは、まじめに隠さずすべてを書きます。3ヶ月前離婚した旦那が、先週死にました。自殺です。

彼は、4年半前、うつ病になりました。それまで、世界中を飛び回り仕事をしていた彼が、動けず眠れず、理由が見えず、苦しみ出しました。結婚してわずか1年目のことです。配慮のできないおろかな妻は、病魔を見抜くこともできず、ただうろたえるだけでした。

楽しかった結婚生活はわずか1年たらず。あとの残りは、死ぬほど苦しい闘病生活でした。たった1年の楽しかった時間なら、仕事なんてしてなければよかった。後悔しても、時間はとりもどせません。私に課せられた使命は、彼を自殺させないこと。人身事故の速報を聞くたびに、不安で倒れそうで。助けて欲しくても、世間のうつ病の理解は、まだまだでした。

一番言われて辛かった事。あなたが甘やかしすぎだからなんじゃない?という言葉。顔面蒼白、脂汗だらけ、何も食べられず、目も開けられない彼の姿は、甘えなどとは無縁の苦しさの境地。もっと辛い瞬間は、あれだけおだやかで優しかった彼が、私を罵り物に当たり、しまいには、骨が折れるまで私を殴り。うつ病はこころの風邪なんかじゃない。こころのガンだと思いました。

辛かった。でも、本人の辛さには比べようにありません。男の働き盛りの年代に、外にも出ず、布団の中で過す事がどれだけ屈辱的か。私はどんなに辛くても、外に出て六本木ヒルズで働くOLになった瞬間、誰もうつ病の旦那の面倒を見ているとは思わない。いつも泣くのは、通勤電車の中でだけ。泣いても目を拭かない事が目を腫らさないコツだなんて事も身についてしまった。「これは私の仕事じゃありません」「お腹が痛いので休みます」職場でこう言う人に出会うたび、働きたくても家から出られず、社会から断絶させられた彼を思い出し、悔しくて悔しくてしかたなかった。働きたくないのなら、彼と代わってください。

どこにも出かけられない二人。それでも、楽しい瞬間を二人見つけようとしてました。くだらないテレビ番組のつっこみ、近所の路上の意味不明な看板、コンビニで新しく出たお菓子、私の職場のおかしな人々の話。疲れて帰って、こんな話をしているときが一番楽しくて、いつも願ってました。「神様、どうか彼を奪わないでください」。あみがやって来てからは、なおのこと、この3人の時間が続く事を願っていました。

でも彼は、感じていたのです。これは、幸せの形ではないことを。未来が見えないことを。私を自由にしてあげたい。だいぶ前から、そう思っていたみたいです。夫としての重責からも逃れたかったのだと思います。そして、離婚を言い出したのも、彼からでした。私は、もちろん、拒み続けました。私は彼がいてくれるだけで、良かったのです。

<つづく>

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2008.10.22

あみちゃん一人じゃ食べきれないよ…

あみちゃん一人じゃ食べきれないよ…

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2008.10.20

あみちゃん一緒にお祈りしようね

あみちゃん一緒にお祈りしようね

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2008.10.10

あみちゃん巨人優勝に興味なし

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2008.10.08

あみちゃん株価にショック

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2008.10.07

あみちゃんとclass夏の日の1993

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あみちゃん餌くれポーズ

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2008.10.06

あみちゃんとB'z

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あみちゃんと笠井アナ

あみちゃんと笠井アナ

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2008.10.04

あみちゃんちかれちゃたぁ

あみちゃんちかれちゃたぁ

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あみちゃんどこだ

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2008.10.03

あみちゃん織田裕二聞き入る

あみちゃん織田裕二聞き入る

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あみちゃんクネクネ

あみちゃんクネクネ

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